本棚もの語り

本棚にみっちり詰まった漫画を端から端まで語り尽くすブログ

本棚A - 7列目(2/2):オシャレ雑誌Zipperとジョージに憧れた時期が私にもありました…「Paradise Kiss」

4ヶ月くらい更新できていませんでしたが、年も開けたしさらっと本棚7列目後半です。

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前回が「月に開く襟」までだったので、今回は「薄命少女」から「Paradise Kiss」まで。わりとキツめのタイトルが並んでいるような気がしないでもないですね。

「薄命少女」あらい・まりこ(全1巻)

薄命少女  (アクションコミックス)

薄命少女 (アクションコミックス)

4コマ漫画です。私の本棚にはギャグ漫画はあっても4コマは少ない……というか、これ1冊しかないかもしれない、かなり珍しいジャンルの1冊です。そしてこれ、4コマ漫画だけどギャグではないのかもしれない。捉え方がどうにも難しく、どう受け止めるべきなのかいまだにまったく分かりません。

どんな内容かというと、タイトルの通り高校生にして余命1年と宣告された薄命な少女がそれでもほのぼの生きていく日常系漫画です。でも死にます。実は余命は勘違いだったとか、なんかすごい努力して病気を克服したとか、めっちゃ感動的な毎日を送って全米を泣かせたりはしません。普通にほのぼの生きて普通に死にます。

ほのぼの部分はギャグが多いですが、ともすれば「不謹慎」です。よくこれOK出たな、と感じるネタも多いです。たとえば主人公が男の子と星を見ながら、「私も綺麗になれるかな……星になったら」とか言うのですが、本人も周りも余命のことを知ってるので本人以外は蒼白になる、みたいな感じです。読んでる側も笑っていのかどうか分からなくなって混乱し、最終的に感情が沈黙します。

でもなんと言えばいいんでしょうね、この「いま何を見せられているのかよく分からない」感覚はほんのちょっと快感です。(それをストレスに感じる人もいるでしょうが)少なくとも私はこのわけの分からなさは珍しいし、意味分からないし、シュールでいいなと思います。連日のように青少年のためのエロ規制だなんだと騒がれていますが、これが出版されて流通している今の日本の文化は意外と大らかだしおもしろい。

人が死んだら必ず悲しまなきゃいけない、というのもひとつの価値観に過ぎず、我々が生まれながらに体得している本能的なものではないらしい。というようなことを、なにか文化人類学的な「外側の世界」から俯瞰するような感覚です。

あと表紙の装丁がけっこう凝ってて、少女が持っている自分の遺影の部分、これ表紙のピンクのカバーが四角にくり抜かれていて、カバー裏のイラストが見えるようになっています。カバーをめくると少女のいろいろな表情が見える仕掛け。装丁マニアには嬉しい仕様ですね。

万人におすすめできるような漫画ではありませんが、「世間」や「当たり前」に疲れたとき読むと、別の意味で泣かされ、癒やされるような気がします。

「キぐるみ」D[di:](全1巻)

キぐるみ―BRAND‐NEW NOVEL COMIC!! (BRAND-NEW NOVEL COMIC)

キぐるみ―BRAND‐NEW NOVEL COMIC!! (BRAND-NEW NOVEL COMIC)

これはなんというか一世を風靡した漫画なんじゃないか、と私は思ってるのですが、一定期間が過ぎるとあまり話題にならなくなってしまいさびしい……あの頃のヴィレッジヴァンガードには本作「キぐるみ」が何段にも渡って平積みされていたものです。帯だって森博嗣庵野秀明リリー・フランキー古屋兎丸坂本美雨黒田晶ですよ、全員絶賛です。日本における「全米」と言っても過言ではないメンバー。しかし、いつの間にか話題性が薄れていった感じがします。なぜだろう……やはり早すぎたのでしょうか。

なにしろ本作は「漫画」と言うほど漫画ではないのです。絵と文、そしてコマ割りで構成される点は間違いなく漫画なのですが、コマの中に字がびっしり書いてあって小説みたいになってるページがあったり、というかその「小説」みたいなページが半分以上あるかもしれない、ぱっと見まったく漫画じゃないわけです。だから漫画を期待して読むと超読みにくいです。(小説を期待しても読みにくいですけど)(だってコマの中に字が書いてあるから)(あと当時のブログみたいなぶっ飛んだ文体だから)(「当時」というのは2001年ごろ、ちょうど1999年が終わってもとくに地球終わらなかったなってなってる頃の世界の、インターネット初期です)(黎明期ではなく初期なところがポイントかもしれない)

いつまでカッコでくくって書くんだって感じですが、この漫画の印象もそんな感じ。あと内容も狂っていて、「ブサイクが着ぐるみを着て生活することを見世物にしているテーマパーク」の話です。テーマパークというか、テーマパークみたいな感じの「マチ」があり、そこではブサイクは全員着ぐるみを着せられている。住人たちはそんなに強い反発もなく、「俺たちブサイクだし着ぐるみ着てるだけでいろいろ保障とか受けられるしまあいいか」と納得して着ぐるみを着ています。「マチ」の外から来た人たちは着ぐるみのブサイクを見てかわいがったり笑ったりします。ちなみに「ブサイク」と「かわいい」に明確な線引きはありません。誰がそれを判断しているかも分からないのですが、老若男女関係なくとにかくブサイクは着ぐるみ、かわいければ免除です。そして主人公は着ぐるみです。主人公の家族も着ぐるみ。ヒロインにあたる女の子だけ素顔です。

この着ぐるみ主人公一家は、どこにでもある「普通より多分ちょっと貧乏でかなりひどい」家庭、です。ただひとつ特徴的なのは、家族も親戚も全員醜悪と言って差し支えない程度には「醜い容姿」に関する描写があるところでしょうか。しかもなんというかこう、典型的なブサイク。デブで吹き出物があって不潔、みたいな。それに加えて食い意地が張ってて食べ方が汚い、とか。そして下品。容赦がないです。「四丁目の夕日」みたいな哀愁があるわけでもなく、ただただ醜悪。出だしのほうは読んでるだけでわりと嫌な気分になります。

(念のため説明しますが、私にとって「嫌な気分になる」ことと作品の評価とはまったく無関係、別物です。むしろ、中途半端に嫌な気分になるものは評価がしづらく、嫌な気分になる度合いが強いものほど高評価をつけたくなります)

出だしだけでなく、読んでるとどんどん嫌な感じが加速します。これを読んでて感じるのは「悪意」だし、止めようのないいじめを目の前で見せられつづけるような気持ち悪さがひたすらある。

そしてその気持ち悪さの中に自分たちもまた生きていることを突きつけられる、そういう居たたまれなさもあります。例えばこういう描写。

それに父さんも母さんも学校の先生も、もっと絶対的な存在で、もっと頭がいいと思ってた。
みんなが僕の知ってる範囲程度の常識は持ち合わせているとも思ってた。
でもそんな世界は存在しないんだ。

そうなんです、そんな世界は存在しなくて、ブサイクでも普通の人間だと思ってた主人公の父親は不倫を繰り返し、着ぐるみ人間たちの矯正施設「フワフワハウス」に連行されます。このあたりは過剰管理社会の気持ち悪さも混ぜ込まれてくる。

やがて主人公が飼っていた鳥らしきもの(よく分からない)が犬に噛まれて死に、死んだそれを生き返らせようとしてヤバイ施設に行くと死んだはずの鳥らしきものが人間の姿で現れて内臓をびちゃびちゃ吐いたりします。……なるべく忠実にあらすじ紹介したいのですが、かいつまんで書くとこんな感じにしかならないしとくに話を盛ってもいないです。悪意がもう飽和状態。これは物量作戦なのだ、と改めて気づかされます。絵も文も多すぎるし、すみずみまで悪意が行き渡っている。

その後いろいろあって主人公は着ぐるみを脱いで外の世界で変態ジジイやババアに体を売ったりしながらしばらく生きます。最後は同居人から暴行を受けて廃人に。それでも神様に媚を売るのです。

神様あなたが大好きです!

最後まで救いはなく、読んだあとはただただ呆然とするだけです。正直、丁寧に読み返したことはほとんどありません。読んでいるときも快感より苦痛が勝っていました。(文章もかなり読みにくく、内容が頭に入ってこないところもある)しかしこの圧倒的な量の悪意は日常生活やほかの創作物ではなかなか味わえない。ので、手放せないまま今に至ります。

ちなみに作者のD[di:]氏、その後いろんなジャンルの創作を手がけ顔出しもしていますが、どう見ても美人です。つまり着ぐるみを着る必要がなさそうな人。その美人からこの作品が生まれた、という事実が実はもっともグロテスクなポイントなのかもしれません。

「ミミクリ」ai7n(全1巻)

ミミクリ

ミミクリ

はい、ミミクリはですね、フェチとホラーと悲哀とエロとグロと百合が渾然一体となった漫画、女性アイドルグループを眺めているときなどに脳裏をよぎる不穏な影を実体化したらたぶんこんな感じ、というような漫画です。

以下のサイトで1話のみ試し読みができるので、エロとグロと百合が好きな人は読んでみるといいかも。

webcomic.ohtabooks.com

1話はまだ単なるエログロの百合なのですが、それだけだったら私はこの本をずっと手もとには置いていなかったと思います。途中から単なるエログロじゃなくなる。(百合は百合ですが)地球規模の壮大なホラーになるし、ラストはひどく物悲しいです。まあそれでもそういうのが読みたかったら最初からホラー漫画を読んだほうがいいと言えばいいので、そこを評価しているわけでもないのですが……これだけ不条理な世界観なのに安直なんですよね、オチが。不条理でエログロで安直、何がしたいのかと言えば美少女が残虐に殺されていくところの萌えを追及してる感じは伝わってくるんですけど、いかんせん安直。SFではよくあるオチ。ゆえに、地球規模の壮大なホラーがまた安っぽく見えてきて、物悲しさが強化されてしまう。

エログロには悲哀がつきものだと個人的に思っているので、分かられている感がすさまじくあります。

リバーズ・エッジ」岡崎 京子(全1巻)

リバーズ・エッジ (Wonderland comics)

リバーズ・エッジ (Wonderland comics)

説明不要、不朽の名作。岡崎京子作品のなかで何が一番好きかと聞かれれば、私はまず本作「リバーズ・エッジ」を挙げるでしょう。

この作品を初めて読んだのは確か大学生の頃だったと思います。それまでの私は漫画の分類というと痛快な感じのものか、あるいは萌えを感じる少年漫画か、あとは少女漫画、ギャグ、という感じで、大雑把に言えば「子ども向けに描かれたものではない漫画」を読んだことがありませんでした。エロやホラーもよく知らなかったし、青年漫画も読まなかった。いわゆるサブカル系に属する漫画も読んだことがありませんでした。成人する頃まで「漫画禁止」の家で育ったので、そのせいもあったかもしれません。とにかく初めて触れるタイプの「惨劇」がそこにはありました。

ゆえにめちゃくちゃ影響されたとも言えます。当時私は二次創作で男と男がどうこうする漫画や小説ばかり作っており、なかでも漫画のコマ割りや背景の切り取り方は常に岡崎京子を意識していたような気がします。(以前このブログでは黒田硫黄にも影響されたと述べましたが、黒田硫黄に関してはとくに「絵」で影響され、岡崎京子はそれ以外、「雰囲気」も含めて影響されたというか、むしろ憧れて真似したかったんだと思います)小説であっても地の文の突き放したような簡潔さ、唐突に混じる不穏な単語など、「こういうのが書きたい」と痛切に思い、似せようと躍起になったこともありました。

さて本作「リバーズ・エッジ」は、高校生の少年少女の日常を描いた作品です。しかし彼らの日常は淡々としていつつも常に悲劇を含んでいます。彼らの日常には死体があり、未熟かつ不穏な性交があり、過食嘔吐があり、火種を覆い隠すようにくだらないお喋りをし続ける。そして惨劇は、本文を引用するなら、

それは実は
ゆっくりと徐々に
用意されている
進行している

のであり、

そしてそれは風船が
ぱちんとはじけるように
起こる

のです。彼らはいとも簡単に血を流し、あるいは焼けて死ぬ。誰も報われず、救われない。あとがきにもありますが、彼らの平坦な日常は「戦場」です。生き延びるためには運や、ある種の「鈍感さ」が必要なのだろうと思います。鈍感さは、すなわちタフであることと同義だと思います。死体や傷を横目で見ながら平然と通り過ぎるタフさ加減。なんなら死体を見て安心してしまうほどの諦観。

惨劇であっても不幸ではない、そして悲劇でもない。それが岡崎京子の言う「平坦な戦場」なのかなと、今もよく考えます。

今この文章を書くために少し読み返しましたが、やっぱり読み返すたびに重苦しい気持ちになりますね。ページをめくるごとに川辺の街のなまなましい臭気が鼻をかすめるような、そんな感じがして、ついでに視界から光量が2%くらい減る気がします。

時代は変わり、今どきの高校生はもうこの登場人物たちのような生活、喋り方をしていないかもしれません。が、それでもおそらくこの作品は時代を超え、読者の年齢すら超えて、「日常にひそむ惨劇」を我々に突きつける刃物のようなものでありつづけると思います。

ヘルタースケルター」岡崎 京子(全1巻)

ヘルタースケルター (Feelコミックス)

ヘルタースケルター (Feelコミックス)

こちらも岡崎京子です。いっとき岡崎京子作品はほぼすべて網羅していたのですが、度重なる引っ越しにより、一番最初に自分で買って読んで衝撃を受けた「リバーズ・エッジ」と、友達の家で読ませてもらって一番気に入ってその後自分で買った「ヘルタースケルター」の2冊のみ手もとに残すことにしました。「リバーズ・エッジ」からは哲学や純文学に近いものを感じますが、「ヘルタースケルター」は(あくまで個人的には)エンタメ性がより強く、派手なショーや演劇のようだなと思います。なんとなく対になるようなイメージで、そしてどちらにも共通して「吉川こずえ」が出てくるので、この二冊が並んでいるのを見ると「バランスがいい」ような気がしています。

ヘルタースケルター」は、全身整形により超人気カリスマファッションモデルとなった若い女性の物語です。全身整形がどの程度のものかというと、作中では「もとのまんまのもんは骨と目ん玉と爪と髪と耳とアソコぐらいなもん」とされています。目ん玉、という表現が分かりやすくてすごいなと思います。だって「目」は女性の顔において重要なパーツですから、瞼や目の大きさなんかは当然手術済み、でも眼球つまり「目ん玉」だけはもとのまんま、というわけです。

それくらいいじりまわされた結果、「外見」で勝負する芸能界で彼女は大成功をおさめます。でもそれらはすべて「期限付きの」もの。整形によって作り出された美貌を維持するためには定期的なメンテナンスが必要とされますが、そのメンテナンスには多大な苦痛が伴ううえ、一度のメンテナンスで維持できる範囲・量はじょじょに減っていきます。そして「りりこ」は、自分が時限爆弾を抱えていることをよく理解しています。理解しているからこそ、いつかくる終焉に怯え、常に不安と戦っています。この作品は、「りりこ」の戦いを物語るために存在しているのだと私は思います。彼女の戦いは凄まじく、派手に周囲の人を巻き込みまくりますが、なにもかも刹那的であるがゆえにすべてが滑稽にも見えます。

やがてそのときが来て、「りりこ」は終わります。「りりこ」を追い詰めるのはやたらポエミーな台詞の多い刑事です。この人の台詞は整然として美しく、私にはこの刑事の発する言葉の美しさが、「りりこ」の美が目に見える容姿であったことと対照的に見えました。

ぼくときみは
前世である神父の
同じ帽子の羽だった


風が吹いて
ひとつは残り
ひとつは飛ばされた


青い蜂鳥だけが
あの頃を
知っているね

一番好きな部分を抜き出してみました。歌詞のようでもあるし(もし歌詞だとしたら退廃的でセクシーな美女が歌いそうです)、そのまんま海外の作家の詩のようでもある。「同じ帽子の羽」っていう言い回しがやや不自然で不思議なところも、そうでなければいけないような気がする。(この作品は事情により作者による加筆や修正があまり行われなかったとのことなので、もしかしたらこの辺の台詞回しや演出も作者の最終的な意図とは違うかもしれませんが)

ひとりの若く美しい女性がじょじょに追い詰められ、惨めに終わっていく物語なんて、エンタメとはまるで縁遠いもののように思われるのに、それでもなおこの物語が人を惹きつけるのは、主人公「りりこ」の強靭なキャラクター性によるものかもしれない、と思います。「りりこ」は破天荒で、エキセントリックで、やることなすこと単純でわがままで考えなしですが、それもこれもただひたすらに負けず嫌いだからです。彼女はどんな苦境にあっても戦い続け、しかも常に勝とうとしている。血の涙を流しながらこの世のすべてをあざ笑い、呪っている。滑稽なのに壮絶で、外見以上にその性質が華やかなのではないか、と思うのです。

だから私もやっぱり「りりこ」に憧れます。「りりこ」の美しさが羨ましいし、「りりこ」のようにしぶとく生きてみたい、と思わずにはいられないです。

そんな感じで、本作「ヘルタースケルター」は私にとってはすごく特別な作品なので、もちろん映画化されたときは見に行きました。あー沢尻エリカか~、と思って見ました。見終わったあと、これは見なきゃよかったな~、と思いました。原作の「りりこ」はあの有名な「鏡よ鏡~」をとなえたあとに、「なんちゃって、アハハ」と笑っちゃうような女性です。崩れていく皮膚を見て泣きながら「鏡よ鏡」ってなるタイプではないと思います。(ひととおり絶望したあとは、終わっていくところも含めて自分は見世物だと考えているふしがある。少なくとも美貌が失われて泣くという感じではない)なので、そういう陳腐な演出を思いっきり真面目にやってるっぽいのを見て引いてしまいました。漫画作品の映画化に関しては、自分の解釈とまったく違うものが出てくるとやっぱりなかなか受け入れられません。寺島しのぶもミスキャストにしか思えなかった。

映画しか見ていない人にはぜひ原作を読んでもらいたいものです。

そしていつの日か岡崎京子先生による加筆・修正版も読んでみたいと思っていますし、岡崎先生の回復をずっと祈っています。

致死量ドーリス」楠本 まき(全1巻)

致死量ドーリス (フィールコミックスGOLD)

致死量ドーリス (フィールコミックスGOLD)

私のなかでサブカルオシャレ漫画といえば楠本まき、スタイリッシュ、ゴシックと言われても楠本まき。病んでて美しいのは楠本まき。めっちゃ血が出るけど甘そうなのが楠本まき

連呼しているだけで終わりそうなのですが、そんな楠本まき作品のなかでも装丁とカラフルな二色刷りがお気に入りの本作、「致死量ドーリス」。タイトルもかっこいいですね。いろんな単語に「致死量」をつけるだけで何かしらかっこよさがプラスされるような気がしますが、あらゆる致死量のなかでも「ドーリス」だからこその色気があるような気がします。私の脳内にも致死量のドーリス。

本作のストーリーは意外なほど単純で、とある謎多き美女に一目惚れした男の受難、と言うとそれまでなのですが、それだけの話を楠本まきが絵とポエムで脚色すると恐ろしくスタイリッシュな漫画が出来上がる、というわけです。私は楠本まきによる独特の演出を自分で勝手に「ヘヴィーシロップ漬けにする」と命名しています。「ヘヴィーシロップ漬け」も作品中に頻繁に出てくる単語です。

不眠症夢魔サキュバス
切り落とされた長い髪
ヘヴィーシロップ漬けの毒々しいチェリー

現実に生きていて、こんなふうに表現できるような「毒々しいチェリー」を目の当たりにすることはそうそうないと思うけど、そういったものが当たり前に存在するのが楠本まき作品の醍醐味で、そして現実にないからこそ惹かれてしまうのだと思う。不思議ですね、一度も見たことも聞いたこともない、現実にはありえない耽美な世界が、楠本まきのペンを通されただけでまるで触れるくらい近くに存在するような気がしてくる。

一時期この手の作風にすごくハマってほかにもたくさん楠本まきの漫画は読みましたが、「致死量ドーリス」はもっとも完成度が高い気がするのと、且つ装丁のシンプルさ、白地に銀箔押しのハサミの強烈さが気に入っているのとで、この一冊だけずっと手もとに残しています。

「愛い奴」小野塚 カホリ(全1巻)

愛い奴(aido) (IKKI COMICS)

愛い奴(aido) (IKKI COMICS)

初期のやおいというか、商業BLが巷にあふれる前のサブカルとしてのBLの代名詞といえば小野塚カホリ、みたいな、なんか私の本棚のこのコーナーはそんなのばっかりですね。その頃の小野塚カホリ作品では「僕は天使ぢゃないよ」を繰り返し読みました。初めて読んだときはかなり若かったので、HIVの話が衝撃でした。

その後しばらくしてから本作「愛い奴」を読み、なるほどこういうのもあるのか、と思いました。「こういうの」というのは、フェミニズムと百合です。

世の中には様々なフェミニズムと百合があり、とくに百合ジャンルにおいては切なさプラスほっこり幸せ、みたいなものもそこそこ多いと思いますが、小野塚カホリの手にかかるとたちどころにすべてが痛々しくなります。なんか読んでるだけで目から血が出そう。

と言うのも、デフォルメが効き過ぎているというか、この作品では敢えて「男」をとことん蔑みバカにしているところがあり、それがもう気の毒なくらいで胸が痛みます。ある意味ではよしながふみの「大奥」のほうがまだ「男」の扱いが丁寧と言ってもいいくらい。驚くほどバカな男しか登場しないし、うっかり世の中にはそんな男ばかりなんじゃないか、と思ってしまいそうになる、妙に切り取り方がうまく、そういうところに対して「デフォルメが過ぎる」と思うわけです。

かといって、女も女でひどい。主人公は嫉妬やら独占欲やらでめちゃくちゃやるし、とくに償いもせずなんとなく生きている。なんかとにかくやたらと発達した「恋愛筋(恋愛するに耐えうる脳のタフさ加減を筋肉に例えた造語、おもに私が使っています)」の反射のみで登場人物は生きている。私にはちょっと理解できないというか、雰囲気だけなら分かるけど、なにもかも遠い国の出来事のようですね。

しかも最終的に「女は子どもを産めるから幸せ」みたいなよく分からないところに着地してしまう。女性でも出産を選択しない、あるいはしたくてもできないケースは死ぬほどありますから、この結末には違和感しかないわけですけども、まあそこまで含めてやっぱりなにもかもが痛々しいと思います。この痛々しさ、ときどき読みたくなるので困る……。でもあまり人にすすめられる漫画ではありません。

ただひとつだけ、これだけはどうしても主張したいというポイントがあって、何かというと「小野塚カホリの描く女体はエロくて美しい」ということです。どこもかしこも肉感的でふっくらしていて、唇からおっぱいからお尻の丸みまで、紙面に描かれた線でしかないのに思わず指をうずめたくなるような質感です。これはもうさすがとしか言いようがない。BLでもそうなのですが、人体をエロく描くのがうますぎる。この女体を眺めていると、ストーリーはとりあえず置いておこう、という気になります。一度でいいから自分もこんな女体描いてみたいな、と思ってしまう。なので、人にすすめられない漫画ながら、手放すことができません。

余談ですが私、タイトルの「愛い奴」をずっと「ういやつ」と読んでいました。しかし最近やっと表紙にローマ字で「aido」と書かれていることに気づき、つまり読みとしてはどうやら「あいど」であるらしいと気づきました。多分10年くらい勘違いしたままでした。

蟲師 日蝕む翳」漆原 友紀(全1巻)

漆原友紀については以前もこのブログで思いの丈を語ったことがあるのですが、これは漆原友紀の代表作「蟲師」完結後に刊行された外伝のような作品です。

もともと「蟲師」は好きな作品なので、登場人物たちにまた会えて嬉しいなと思いながら読みました。化野先生とギンコの関係が気になります。淡幽お嬢さんは別格で好きです。淡幽お嬢さんとギンコが仲良くしていることと、化野先生とギンコの関係が気になることは私のなかで矛盾なく両立します。ただギンコは受けであってほしいとは思います。ワタリのイサザも好きですよ。

蟲師」は厳しい生存競争の話も多く、あまりにもあっさりと人が死んだり取り返しのつかないことになったりするわけですが、この外伝では比較的ぬるいというか、ほほえましいハッピーエンドだったのでほっとしました。でも本来「蟲師」の持つ魅力はあっさりした生存競争のほうにあると思っています。自然界ではただ皆それぞれ生きているだけ、ときとしてヒトの目にそれらが奇跡のように、あるいは感動的に映るというだけで、なにも特別なことは起こっていない、というスタンス。その乾いた視線と、それでいて清濁併せ呑む自然界の懐の深さの対比が素晴らしい。自分の生き死にさえ圧倒的に大きなものに委ねるしかないという、ある種の諦めがもたらす安心感が「蟲師」にはあって、まるで作者に頭をなでてもらってるみたいだな、と思うこともあります。

なので、私のくだらない萌えのようなものも、おおらかな翳のなかで芽吹くことなくいつまでも眠らされたままでしょう。

Paradise Kiss」矢沢 あい(全5巻)

Paradise Kiss (1) (FEEL COMICS)

Paradise Kiss (1) (FEEL COMICS)

突然ですが私は矢沢あい作品が好きです。デビュー作から最新の「NANA」まで全部読んでいます。例によってスペースの都合から所持しているものは限られますが、基本的に全部読んでいるしなかでも一番のお気に入りが本作、パラキスこと「Paradise Kiss」です。パラダイスとキスを並べてしまうセンスがもう矢沢あいだし、オシャレ。

このパラキス、漫画雑誌ではなくファッション雑誌に連載されていました。「Zipper」というちょっと尖った感じの、わりと奇抜なファッションが載っている若い女性向けの雑誌ですが、私もかつては若い女性でしたし、奇抜な服装が好きだったのでZipperをよく読んでいました。お金がなかったので立ち読みもしてしまいました……当時なにげなく雑誌をめくっているなかで、真ん中らへんに挟み込まれている連載漫画のあまりのオシャレ感に衝撃を受けたことを今でもよく覚えています。いや、今から考えると若干エキセントリックに過ぎるというか、現実離れしたストーリーではあるのですが、若いというより感性が幼かった私には、パラキスの世界観は大人びてて個性的でかっこよく、そしてひたすらオシャレに見えました。

あともう、ジョージが大好き。手に負えないくらいジョージが好みです。

これだけは残念ながら過去形にできない。私はこういうタイプのアホみたいに芝居がかってて紳士ぶってるくせに妙なところで女性に対してSっ気があったりいつでも王様みたいにふるまうけどその態度に見合うだけの才能を持ってる、みたいな変な男に弱い。とにかく私の弱点をピンポイントに突いてくるのがジョージです。

そして私はもともと二次元に出てくる自分好みの男性キャラが自分とくっつくような妄想はできないタイプ(そんな大それたことが起こるわけがなさすぎて妄想しようがないというか、ちょっとでも妄想すると多分心臓が停止する)であり、自分好みの男性キャラには同じく自分好みの女性キャラとくっついてほしくなるのですが、ヒロインの早坂紫がまた……これまた私好みのかっこいい女です。ジョージと紫、もうめっちゃお似合いだし、絶対うまくいきそうにないところまで含めてお似合い。恋愛漫画があまり得意ではない私が「見ていて楽しい」と思うのはほんと矢沢あい作品だけではないかと思う、それくらいピンポイントにこのカップルは私好みです。

なんというか、矢沢あいの「眉を下げて困ったようにアハハと笑う」女は絶対に現実にはいないというか、いやそれ言い出したらパラキスの登場人物全員この世にいないタイプだと思うけど、でもなんか、矢沢あい特有の女性キャラの笑顔を見ると突然彼女らのことが「好き!!!」ってなるので、あの笑顔には必殺技っぽい技名をつけたくなりますね。「ファンタスティック・スマイル!!」みたいな、技名を叫びながら笑ってほしい。ちょっと自分でも何言ってるか分からないんですけど。というか、オタク仲間とは矢沢あいについてそんなに深く語り合ったりしないので、今こう何を書いてもいいとなると書きたいことがありすぎて困りますね。

ジョージも好きだけど、イザベラも好きです。イザベラは妖精だと思う。世界中のあらゆるイングリッシュガーデンに最低1人ずつくらいイザベラをセッティングしてほしい。もし私が「遅刻遅刻~」と言いながら口にくわえた食パンをよだれまみれにして走っていたらまずイザベラにぶつかりたい。イザベラのキャラ設定、ちょっとした悪ノリもあると思うけど、でもイザベラなくしてパラキスは成り立たないし、あーもう矢沢あいの才能がにくい、ズルい……!!(ハンカチを噛みしめる)

それで実和子ちゃんも好きです。当たり前ですよね。いちごの香りのシャンプーとかナメてんのかと思う、かわいすぎる。好きに決まっている。普通だったらこの手のちょっとぶりっ子っぽいキャラは苦手でもおかしくないけど、でも実和子ちゃんはしょっちゅうお腹が痛くなる、そして「まほうのくすり」を飲むと治る。病んでる!!! 天使!!! なので嵐をあんまり好きになれない!!!

そういう感じで(どういう感じか興奮しすぎてよく分かりませんが)、パラキスは私には本当にパラダイスです。みんなかわいいし現実味がない。あとわりとエグいというか普通に性交シーンがあるのも特徴的ですよね。それですらオシャレ……。矢沢あいの恋愛はエグくてもポエミーでも全部なんかさっぱりしていて、それが私みたいなクソオタから見ると「オシャレ」だけどもしかしたら一般的な女子力や恋愛筋の発達した「女子」から見ると「リアル」なのだろうか。こんなオシャレな世界がリアル……想像しただけで棍棒で殴られたような衝撃が。でも……でも私だってパラキスを読んでオシャレ感に憧れるくらいのことは許されていいはず、キラキラしたちょっと病んでる世界いいなって思っていいはず……。

まあ私がパラキスを特別好きなのは、当時けっこう服飾に興味があったからっていうのもあって、当然ながらコスプレにも手を出していたけどあれもなんか服やウィッグを作るのが楽しいみたいなのの延長だったし、小学校低学年の頃はジェニーちゃんの洋服をデザインしたくて「じゆうちょう」にデザイン画みたいなやつよく描いてたな……、みたいな、根源的な「趣味」をくすぐられるという点も理由のひとつではあります。すごくまっとうな理由という気がします。ファッションデザイナーに憧れたっていい、バンドマンに憧れたっていい、矢沢あいは私にとって、ともすれば「イタく」なりがちな憧れをきちんと料理してオシャレでかっこいいエンタメにくるんで手渡してくれる、「やさしいお姉さん」みたいな存在です。ゴシックもロリータも最高、貫けば正義だ……!!

何度読み返したか分からないし、台詞もストーリーの流れもほぼ覚えてしまっているのに、また最初から読み始めたら止まりません。読むと元気が出ます。元気が出るのに、ラストは泣いてしまいそうになります。ジョージはこの性格だと一生孤独な気がするけど、孤独なまま幸せになってほしい……。

語り出したら思った以上に止まらなかったので、一旦この辺にしておきます。また思いついたら加筆・修正するかもしれません。

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さて、この7列目で本棚Aはほぼ終わりです。あと2列ほど下に続いてはいるのですが、自分のものではない蔵書が中心なので紹介は控え、ひとまず次回から本棚Bに進もうと思います。