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本棚もの語り

本棚にみっちり詰まった漫画を端から端まで語り尽くすブログ

本棚A - 3列目(2/2):とある港町、孤独な女性だけが使える小さな魔法の話「港町猫町」

天井側から3列目、2回に区切ったうちの2回目です。

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後半「非怪奇前線」から「ちんまん」までを語ります。

「非怪奇前線」なるしま ゆり(全1巻)

非怪奇前線 (ウィングス・コミックス)

非怪奇前線 (ウィングス・コミックス)

なるしまゆりと聞くとその昔「PIGEON'S BLOOD」を読んだときの衝撃がいまだ忘れられない、というか最近までコミケで近未来江戸侍ものの二次創作とかも買ってた、そういうクラスタの私ですが、原作が好きだから二次創作を読んでいたというよりはなるしまゆりの漫画が本当にうまくてどんな原作でも読みたくなってしまう、というほうが正確です。なおかなり年齢が若かったので「PIGEON'S BLOOD」は友人のお姉さんから1冊を借りて読んだきりです。今もちょくちょくまんだらけへ行くと探してしまう。ああなるしまゆり、今では私、蔵馬受けだけど、PIGEON'S BLOOD愛してる。

こういう迸る愛を文章にしたためたところで、ご本人に届くわけでもましてや今突然ここを読んでいる方に届くわけもない、ので、とにかくもこの短編集「非怪奇前線」の解説をしなければならないわけです。

なるしまゆりの漫画の魅力は、演出、とくにセリフです。キャラクターが喋る言葉もかっこよければ地の文もかっこいい、それもストレートなかっこよさではなく相当なハイコンテクスト、読み手の読解力が1ページごとに試されるレベルの噛みごたえ、これがたまりません、ただそれゆえに苦手な人は苦手かもしれないというか、ある程度普段からたくさん漫画を読む人でないとついていけない可能性はあります。まあひるがえって一言で言えばかっこいい、それだけです。

たとえば……といってもどこを抜き出そうか悩んだのですが、とくに因果関係もなく起こる事故や「怪奇」について主人公のひとりが説明するとき、こういう表現を使う。

私達は元々
見えない弾丸の
飛び交う戦場を
散歩する盲者だ

韻を踏んでいて漢字のバランスもなんだかかっこいい、多分ところどころ狙ってやっているのではないかと思いますし、狙ってやるとかっこいいを通り越して寒くなる例もあると思うのですが、なるしまゆりの場合はきちんとかっこいい。

一方、私の語彙はどこかへ消えてしまいました。かっこいいしか言えてない。内容にも触れておきますと、本書にはメインとなる表題作が1本、絵柄からするとかなり古い作品が1本、計2本入っています。メインのほうがかなり怖くておすすめ、グロさはほとんどないですけど、なんというか非常にじわじわぞっとする系のホラーです。それくらい怖い話なのに、なんか不思議に胸が熱くなる。そしてやたらと後を引きます。それこそなるしまゆりの同人誌を上回る。よくあるハッピーエンドではないからかもしれないし、リアリティのうすい設定なのに説明のうまさのせいでリアルに感じてしまう何かがある、ホラーというよりはまさにタイトル通り「怪奇もの」なのかもしれません。そういうのが好きな人には、私にあるようななるしまゆり好きの背景がなくてもぶっ刺さると思いますので、なんか1冊適当に読みたいな、というときに読んでみるといいのではないかと思います。

語ろうと思って久々に読み返しまして、なるしまゆりはこの1冊しか本棚に残せなかったんですけど、どうしてもまたあれもこれも読みたくなって結局Kindleで「少年怪奇劇場」を買い直しました。電子書籍バンザイ、バンザイ。

「港町猫町」奈々巻 かなこ(全3巻)

港町猫町 (フラワーコミックスアルファ)

港町猫町 (フラワーコミックスアルファ)

本棚後半戦のメイン、少女漫画をあまり積極的に読んでこなかった私がそれでも愛してやまない数少ない少女漫画のうちのひとつ、「港町猫町」です。

舞台設定は「どこかの港町」、はっきりどことは分からないけれど、かといってファンタジー世界でもない、少女漫画によく出てくる「どこかの」「港町」です。個人的な嗜好を言えば、私は海の近くの坂の多い場所で育ったので、「港町」設定に非常に弱い。港町が出てくるだけでとりあえずオッケーです。いやなにがオッケーなのか。

それはさておき、そのとある港町には、猫がたくさん住んでいます。猫は、おそらくごく普通の猫なのですが、猫たちのあいだには言い伝えがあって、それはこういうもの。

  • 「さびしい」気持ちを持った人間の女性は、猫にとっての「魔女」である
  • 「魔女」にはときどき、猫たちが人間の男の子の姿に見えることがある
  • 猫はお気に入りの「魔女」を選んで一緒に暮らすことがある
  • 猫は七つの命を持っていて、七つ全部使い果たすと次の世界へ行く

文字だけで書き起こすとずいぶん突飛な設定に見えるかもしれませんが、実際に漫画のなかでじょじょにこれらの言い伝えに触れていくと、意外とすんなり頭のなかに入ってきます。ふわふわ柔らかい描線のせいかもしれないし、自分の知っている猫の手触りや鳴き声を自然と思い出してしまうからかもしれません。なにより、おこがましくもかつては「さびしい女の子」だったこともある自分が、「本当にこんなふうに猫が人間の男の子の姿に見えたらいいのに」とつい思わされてしまうからなのかも。そして、登場人物たちと同じく「さびしい」思いをした女性、いや女性に限らないかもしれない、さびしい気持ちになったことのあるすべての人が、猫をつい愛しく思ってしまうに違いない……ような気がする。

ツッコミを入れようと思えば、男の子に見えるのはオスの猫だけなのか、ではメスの猫はどうなんだとか、そもそもなぜ女性にしか猫が人間に見えないのかとか、いろいろまあありますが、でもそういうのはスルーできる、スルーして作品世界を信じたくなる、私は少なくともこれは素直に読みたくなるので、細かいツッコミはどうでもいいです。

この漫画のなかで、人間の女性はまるで恋人に対するように猫たちと接します。でも、あくまでも人は人、猫は猫なので、足並みが揃わないこともあるし、気持ちが通い合わないこともある。寿命にも差があるし、人間の恋人たちのように夜を過ごすこともありません。ただひっそり体温を分け合うような関係がずっと続く。そういう、生々しい欲の入り込む余地が最初からない関係性であればこそ、ひどく傷ついたさびしい人間の慰めになるのではないかと思います。

人間と出会った猫、猫と出会った人間、どちらもそれぞれ違った幸せをもらうのだという猫たちの主張に、泣けてしまってしょうがない、そういう漫画です。心の交流の結果、得られる幸せのかたちが画一的でなくていいなんて、なんて素晴らしい。

通り一遍の恋愛ものが苦手で少女漫画を読まなくなった人におすすめの全3巻。

(※ただし、わりと漫画好きの男性に貸したときにはあまり反応がよろしくなかったので、とくに男性の方には、好みの合う合わないはあると思います。あと、テーマの関係で猫と人との別れが何度か描かれるので、リアルな別れを思い出してつらくなりそうな方にはおすすめしにくいです)

「どぶがわ」池辺 葵(全1巻)

どぶがわ (A.L.C.DX)

どぶがわ (A.L.C.DX)

ともすれば小汚いどぶ川、川幅も狭く流れは淀んでいてひどいにおいがする、そのそばで暮らす人々の群像劇。

もっとも多く視点がふられるのは、そのどぶ川の川べりにあるベンチに腰掛けて、日がな一日優雅な妄想を楽しんでいる年老いた女性です。妄想のなかで川は美しく、本当はひとりぼっちの老女は「お嬢様」四人姉妹のなかのひとり、現実世界では茹でたもやしに醤油を垂らしたものが夕飯ですが、妄想世界には食事や着替えなどの面倒をみてくれるメイドさんまでいます。老女は何不自由ない妄想世界と、貧しくわびしい現実世界を行き来しながら、妄想世界の入り口であるどぶ川沿いのベンチを「楽園」と呼び、淡々と生きています。

一方、どぶ川の汚さに我慢ならない少年もいて、役所に早くどぶ川をなんとかしろと投書していたり、夫の浮気を疑ってしまう妻がどぶ川のそばを通りかかったり、少年の投書だけでは予算が出ないけどと愚痴りながらもどぶ川の掃除をする市役所員がいたり、老女の口ずさむ歌からレコードを見つけてくる青年がいたり、どぶ川のまわりはなんということもない日常があふれています。

どぶ川は汚い、と文字では書かれていますが、絵のタッチは優美で繊細。とても臭気が漂うようには見えません。かといって、ミスマッチなのかというとそういうわけでもない、日があまりに強く照りつけるので描線の一部が消えてしまったような、あるいは、老女の目から見る世界はこうなのかもしれない、と思わされるような、なにか張りつめたような気品に満ちています。

とくになんということもない日常、けれど生きている人の営む日常ですから、やがて終わりが来ます。私はこの漫画を読んでから、人生の最後が貧しくてなにもなくてひとりぼっちでも、こうして終わっていけたらいいのかもしれないと思うようになりました。そういう、もしかしたら人生が少し変わっていまうかもしれない、底知れぬ力を秘めた漫画だと思います。

もしこれがきっかけで読もうと思う人がいたら、なるべく静かな場所で、老女の気持ちに寄り添うように読んでみてほしいなと私は思います。

ブラック・ジャック創作秘話~手塚治虫の仕事場から~」吉本 浩二(漫画)、宮崎 克 (原著) (全5巻)

私は手塚治虫を漫画の神様だと思っているタイプの人間なので、手塚治虫という人の人物像について理解が深くなりそうなこの漫画は手放すことができない、そういうわけで本棚におさまっている5冊です。漫画の神様、職場では今どきのブラック企業なんか目じゃないくらいそれはもう酷い仕事人間だったみたいで、〆切間際に担当編集者が5人も6人も並んで待っているシーンは読んでいるほうまで変な冷や汗が出ます。

ただ、吉本浩二の絵は技術的に優れていると思うし、表情が分かりやすくキャラクターの描き分けも昨今では抜きん出てうまい、と思うのですが、いかんせん、好きな絵柄ではないのと、吉本浩二の前作「日本をゆっくり走ってみたよ : 1 (アクションコミックス)」がまったく好きになれなかった(というかむしろ嫌いな)ため、お気に入りの漫画かというと実はそうではないのです。正直に言ってしまうと、描かれているエピソードを全部暗記するくらい読み返したら手放す可能性もあります。

(※なぜ「日本をゆっくり走ってみたよ」が苦手なのかというと、これはエッセイ漫画で、作者が「好きな人」のために、自分で勝手にバイクで日本一周したら告白しよう、と決めて、本当にバイクで旅立ってしまってから告白するまでを描いたものなのですが、実在する一人の女性の「ために」、なにが「ために」なのかまったく分からないけどなんか勝手に日本を一周して、疲れたら風俗に立ち寄って、みたいな感じの描写もあり、別に私は風俗に行く男性をなんとも思わないけど「あの娘のために」ってあたかも「あの娘」の利益になるような体験をこのオレがしてきてやりますよ的なテーマで旅に出ているにも関わらず風俗も行っちゃいまーす、って、エッなんなの、もう全然分からない、「あの娘」を馬鹿にしてると思うのだが本人はまったくそんなつもりはなくて鈍感なのかな、鈍感だから本人は気が弱いつもりなんだろうけど自分より立場の弱い人間に対しては異常に押しが強くも見える、とにかく「あの娘」が告白を断ってくれてよかった、残ったのはそれだけ、あと、この漫画に共感するタイプの人とは私は頼まれても友だちになりたくない、それだけ。ただここまでメタクソに批判してるけどやはり漫画の技巧としては優れていると思います。見開きで描かれる団地のシーンは鳥肌が立ちました)

余談めっちゃ長く書いてしまった、とにかく「ブラック・ジャック創作秘話」ですが、戦後~昭和の終わりごろまでの出版社って本当にブラック、真っ黒、それを「古き良き」と思うわけでも「あの頃はよかった」と思うわけでもまったくないですが、歴史のなかでこういう時代がどうやらあったのだ、と知ることは好きだし、必要なことだと思います。とくに昭和の、インターネットにこうして様々な人間の活動が残る「直前」くらいの歴史って、もっとも記録が残りにくい時代なのかもしれない、と私は思うわけで、空白期間の一部を紐解いた「未来の歴史書」として意味があるようにも思いました。

そんなわけで、手塚治虫に興味のある人はもちろん、手塚治虫がとくに好きではないという人にも、「昔の出版社」の雰囲気に触れられたりするので面白く読めるのではないかと思います。

また、父親としての手塚治虫、手塚家の内情を垣間見られるのも私には興味深かったです。なぜかというと私は家族というものの在り方に常に興味があるからです。(見事なトートロジー

まとまりませんが、そこそこ著名な漫画かと思いますのでこのへんで。

「羣青」中村 珍(全3巻)

羣青 上 (IKKI COMIX)

羣青 上 (IKKI COMIX)

私の大好きな中村珍さんの初期の長編作品です。(私は漫画家さんのお名前は屋号のようなものだと考えているので、このブログではほぼ敬称略とさせて頂いていますが、中村珍さんはTwitter等で「呼び捨てでないほうが嬉しい」と表明されていましたので、ここでも敬意を込めてさん付けでいきます)

とある不幸な、不幸としか言いようのない境遇の女性が、レズビアンで且つ自分のことを好きだと言いつづけている女性に「自分の夫を殺してくれ」と頼み、頼まれたレズビアンは本当に夫を殺してしまう、物語はそこから始まります。(本編では登場人物それぞれの名前が出てこないので、殺してと頼んだほうが眼鏡さん、頼まれて殺しちゃったほうがレズさんと便宜上呼ばれています)とにかく上中下巻ずっと眼鏡さんとレズさんが喧嘩したり歩み寄ったりとにかくずたずたに心を切り裂き合いながらほんの少し距離を詰めるまでの物語。

と書くとあっさりした愛憎劇のように思われるかもしれませんが、そんな生易しい話ではない、テーマの根底にあるのは確かに愛ではあるものの、視野というか、投げかけられている問いはもっとずっと広いところにあり、「差別と、それを理解しようとすることについて」を泥臭く表現されているように私には思えました。逆にこれを読んでただの「レズビアンの愛憎劇」と割り切れるような人は健全でマッチョな人生歩んできたんだろうな羨ましいなと思います。

さて、私は「差別と、それを理解しようとすること」と書きましたが、この漫画にはばっさりこう書かれている部分があります。

差別と理解は同じだよ

そうですね、「現時点では理解できないから理解したい」のであって、前提として「理解できない」がある、自分とは明確に「違う」と判断している、ので、差別と理解(したい)は本質的には同義です。でもこうして言語化されないとなかなか気づかないことでもある。そして、別に差別と同じであるところの「理解したい」をこの漫画は否定しないし、無意識の差別、「無理解」についても否定はしません。ただ様々な「理解」と「無理解」のシークエンスを提示しながら、「あなたがどういう立場の人なのか私には分からないけれど」と作者が断りを入れているような気が私にはします。「……分からないけれど、この二人の愛憎の結末はひとまずこうだったんだよ」と、まわりまわって、つまりそれだけの話ではあるんですけど、「いろんな立場」の表現の仕方が本当に多様で、多様なのにどれも典型的である意味では分かりやすくてすごい。

例えばレズさんの元カノ、すごく「いい人」なんです。いい人なんだけど、私は中巻を読んだとき、あまり元カノさんや元カノさんの家族が好きになれなかった。その理由が下巻できちんと言語化されていて、要するに彼女らには無神経なところがあるわけです。鈍感というか、でもぱっと見は全然わからないんですよ、いい人なんです。何がどうなのかっていうのはぜひ漫画を読んで確かめてみてほしい。それでも私の違和感や、レズさんの言う「無神経」が全然まったくピンと来ない人もいると思います。いやー、私はちょっと怖いな、自分がレズだと告白したら「うちの娘はレズビアンでしたので」って他人に言えちゃう母親とか、めっちゃ怖い。どんなにいい人でも近くにいてほしくない。

もっと分かりやすいところだと、レズさんの兄貴なんですけどね。「俺はお前が同性愛者でも『構わない』」「同性愛者を『認めたい』と思う」といった発言をする。(『』部分は原文でなく私です)超分かりやすい、でも生きてて一度も他人に対してこういう態度を取ったことのない人もまたほとんどいないでしょう。同性愛についてでなくても、もっと些細なことで。

この兄貴はほんと分かりやすくて、眼鏡さんのほう、虐待されて育ってようやく結婚したと思ったらDVの被害を受けて体じゅう一生消えないくらい痣だらけ、それを目の当たりにしてなお、「大ゲサなんだよ」とバッサリ言っちゃう。「幸せなんてもっと小さいことなんだ」と。すんごい強い、健全、でもなあ、こういう健全さ、ほんとに眩しいなあ……と完全に自分の感想が出てしまってますが、まあ実際言われたらイラつくくらいでは済まないレベルで腹立つセリフのオンパレードだし実際ありえそうだけど、なんかレズさんの元カノさんのご実家よりマシに見えますね、分かりやすいので。

大げさって言われるの、本当に困りますよね。他人から「程度」を決めつけられるの、本当に痛い。その痛みは、これまでも文学作品や、文芸っぽい漫画でも何度となく表現されたのかもしれませんが、この漫画は実にストレートなので、今までそういうことを一切考えたことのない人にももしかしたら届きやすいのかもしれないな、と思います。

(多分、まあ、無理なんだけど)

無理だって思うのは私の気持ちでもあるし、最後のほうにレズさんが言う、

誰のことも理解できないし
誰からも理解されなくていい

このセリフと同じ感じ、これを私はさびしいことだとはどうしても思えない、仕方のない、ただの事実で、文字で起こされていることに安堵すら覚えます。

あと、

他人の幸福に いちいち怯むな

これもすごい表現だなと思いました。この言葉はレズさんの元カノの考えなのですが、これが書かれる直前、レズさんの元カノさんは、友人からの「出産報告」メールを受け取ってるんです。自分はレズビアンで、彼女にもフラレたのに、よりによってそのタイミングで「出産報告」を。自分は愛する相手と遺伝子を分けた子どもを作ることもできないのに、それでも「出産報告」を受け取って、なんともいえない気持ちになって、「怯むな」って自分に言い聞かせるんです。(おそらく元カノさんはレズビアンだということは伏せているので、相手にも悪気は一切なく、事故みたいなものですが)

出産報告だの結婚報告だの、なんでああいう習慣ができてしまったのかなあ……もはや深い意味はなくてみんながやるからやるんでしょうか。レズさんの元カノさんはこの出産報告メールを見て「他人の幸福に」と、「幸福」とすごく簡単に結びつけていますが、安易に出産イコール「幸福」とは限らないし、ともすれば「他人に幸福をアピールした瞬間にしか幸福を確認できない」人も多いんじゃないかなあ、と私は思わないでもないし、それが「普通」なんだろうし……とはいえ元カノさんがここで冷静に幸福の定義について考え出すようでは話がブレますから、やはり他人は幸福に見える、幸福に見える他人には嫉妬を覚える、どうしても怯んでしまうと、そういうことなのでしょう。そしてこれ、きっと多くの人の共感を呼ぶだろうなと思いました。嫉妬は強い感情なので、言葉で自分に言い聞かせていないとつい流される。ああでも流されるに任せてばかりの人は共感すらしないかもしれない、けど、元カノさんのように、嫉妬を認めつつ自分を律しようとすることのできる人はすごいと私は思いました。

自分に言い聞かせるのって大事というか、結局それしかできないんだと思います。ここまで激しい感情を持て余したときじゃなくても。

そんな感じで、ほぼべた褒めですが例によって一点だけ難癖をつけるとするならば、絵はかなりクセがあるので、好き嫌いが分かれるところかなと思います。同じ作者さんの作品で、この作品とはテイストの違うエッセイ漫画におけるディフォルメ調の絵は、ディフォルメの仕方がすごくキャラクターの特徴を捉えていてかわいらしくクセも目立たないんですけど、この漫画に関しては劇画調というか、細かく描き込む系の絵で、それ故に……かもしれないな、人物の顔はものすごく上手い、生きてるみたいな表情なのに、体のほうがちょっとそこまでついていってない感じがします。作者さんは人間を観察するときまず顔をじっと見てなんなら最後まで顔しか見ないタイプの人なのかもしれません。

はい、私のダラダラした感想に少しでも共感または興味を惹かれる部分があったなら、手にとってみて損はない漫画だと思います。上中下巻計3冊とはいえくっそ分厚いので、漫画読んだぞーっていう満足感も得られます。

作者さんご本人による「羣青」紹介&試し読みページもあるので貼っておきます。

note.mu

「ちんまん」中村 珍(全1巻)

ちんまん―中村珍短編集 (ニチブンコミックス)

ちんまん―中村珍短編集 (ニチブンコミックス)

同じく中村珍さんの初期短編集。デビュー作から8本ほどの短編が載っています。ギャグもあるしシリアスもある、下品なのもあるし真面目なのもある。なんでも詰め込んだ感じですね。私は羣青と出会ってからこっち、中村珍さんの漫画は刊行されたら一回は買うことにしているので、買いまして、置いてあります。作品の良し悪しというより、この作者さんがこの年齢のときにこのようなものを描いた(あるいは、敢えて意地悪な言い方をするのであれば、「このようにしか描けなかった」)作品群であると思うし、作者さんに興味がある場合にはこういった作品群もまた重要です。

いやしかし、中村珍さんに関しては長文じゃないと感想書けないなあと常々思ってTwitterなどではつぶやきにくかったので、このブログでたくさん書けて嬉しかったです。(完全なる自己満足です)

なお、最近のエッセイ本については判の違いで別の本棚に置いてあります。またの機会に感想を述べられたらいいなと思います。

というわけで、本棚3列目、終わりです。